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日本と韓国を結ぶ架け橋 「IJKL」

 


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釜山 峨嵋洞 碑石文化村(アミドン ピソッムナマウル)   (displayed 2771 times.)

戦前に朝鮮に住んでいた日本人たちは、終戦を迎えて帰国しました。

その時までに、亡くなっていた人たちは、日本式の墓に埋葬されていました。

日本人が去った後、朝鮮半島で紛争が勃発、半島を2分する朝鮮戦争が始まりました。
6月25日に宣戦開始、6・25(ユギオ)戦争です。



北の軍が強く、釜山まで進攻してきました。
避難民がどんどん逃げてきますね。
釜山にはそういう歴史もあります。




以前ご紹介した「ヒンヨウル文化村」も海のすぐ横にある雰囲気の良い観光スポットになっていますが、ここもそういう場所だったそうです。

ヒンヨウルの記事はこちら↓
http://www.ijkl.net...

所々に壁画
日本人が去った後、戦禍から逃れて釜山までやって来た避難民たちが、日本時の墓があった場所へ移り住んできました。
墓地ということで「幽霊が出るのでは?」という噂もあったようですが、そんなことは言っていられません。


実際にに住んでいる住民がモデルかな?
そうして避難民たちが住みついたそうです。
墓石を利用して家も建てて行ったのだと想像します。

墓石の上に、仕方なく住むしかなかったのです。
それで、今も日本人の墓石が残っている町です。

昭和十四年八月 宮島今朝太郎建之と見えます
ここも観光スポットになっていて、解説士が見どころを紹介して、狭い小路を歩いて説明してくださいます。

色々見て回っていると解説士のおじいさんに声をかけられました。

尋ねられたので、墓石の字を読んで差し上げました。

日本人が来て、残っている墓石を近くのテソン寺へ持って行って、供養される方もあるのだとか。
墓石があってもそこは人が住んでいるので、不気味な感じはありません。

入り組んで狭い道がクネクネ。ぐるぐる迷路のような小路を歩いて墓石を探します。

右が上になっていて明治二十三年八月・・と書いてあります
所々色んなもの(犬のふん?ゴミや家電不用品など)が無造作にあるので、気を付けて歩きましょう。
住民に高齢者が多いのかなと思います。

いつか、ここも再開発するのかな?

墓石たちは、家の土台に使われていたり、階段になっていたり、物干し台になっていたり、コンクリートの壁になって埋め込まれていたり、様々な様子に変化しているのを見てきました。
ペンキを上から塗られて色が変わっているものも。

少し残念な気もしますが、共存していると考えるのが正しいでしょう。

まだはっきりと文字が読み取れる墓石もあります。お地蔵様のお姿もありました。

2020-05-22(23:02:40) - 韓国の風景 - msm - TrackBack(No Trackbacks)

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