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崇仁斎・東望閣   (displayed 2189 times.)

崇仁斎
崇仁斎(スンインジェ)へ行って来ました。

駱山公園の東側、地下鉄6号線昌信(シャンシン)駅から近い小高い丘にあります。

東を望む場所ですが、悲しい歴史があります。


朝鮮王朝6代王の端宗(タンジョン・ハングルを創製したセジョンの孫)が12歳で王位につきましたが、約2年後、野心の叔父(首陽大君・太宗)から王位を奪われて上王になります。しかし、正当な王として端宗を押す臣下たちの謀反によって、端宗の立場が益々悪くなり、寧越(ニョンウォル)に流され、平民に身分を落とされてしまいます。

その後、とうとう死罪となります(生きていては端宗を担ぐ者たちがまた出てきてしまう)。その亡骸は打ち捨てられていたそうです。が、正式な墓が作られて(1516年)身分も回復したそうです(1698年粛宗の時・・ドラマ「トンイ」の王様)。


悲劇の王と呼ばれています。この王の正妻は定順王妃(チョンスンワンビ)です。17歳で未亡人になってしまいました。王妃も歴史に翻弄されて悲しい人生を送ることになります。
カフェになっていたような

朝廷からの支援も断って貧しい生活の中、ひたすら端宗の無事を祈り、また悲しい結末を聞いては冥福を祈り続けた定順王妃。

王妃が、端宗が流された東の方に向かって祈り続けた場所が、東望閣です。
定順王妃は80歳過ぎまで生きて、60年以上端宗のために祈りをささげた人生でした。

東望閣より東を望む
当時の場所は再開発のため今は石碑だけが残り、こちらへ移転しています(ここより歩いて約8分ほどの東側で、普門第一協会付近だったと思われます)。

幼い夫婦の愛と悲しみはいかほどだったでしょうか。
想像できないくらい辛いことだったでしょう。

この時代の話は「王女の男」「王と私」など何度もドラマ化されています。

東望閣があるのは崇仁(スンイン・地名)近隣公園にあります。そこに、王室に由緒深い両班(昔の貴族)一族が使う建物に付ける「斎」(ジェと読む)を繋げて、スンインジェ(崇仁斎)と呼び方をしているようです。

この近くには、青龍寺(チョンリョンサ)という定順王妃が留まったお寺もあります。

市民の休息所のような場所ですが、この時代の背景や題材になった映像などの紹介もあります。

2020-04-29(16:15:19) - 韓国の風景 - msm - TrackBack(No Trackbacks)

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