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どこが問題なのか「新しい歴史教科書」古代史篇   (displayed 2811 times.)

6月21日、「歴史教科書問題」講座の第2回目がありました。朝鮮半島の古代史について、大谷大学文学部教授の鄭早苗(チョン・ヂョミョ)氏が講師として話されました。

まず「どこが問題なのか、探すのは難しい」と話されました。歴史を良く知っている(研究している)方なら「おかしい」とわかるそうです。不確かなことがたくさん明記されてます。これでは入試問題として出せない、ということでした。

朝鮮半島から渡ってきた渡来人について、法隆寺の釈迦三尊像は止利仏師の作であるとか、百済観音像、東大寺の大仏づくりを率いた仏師の国中連公麻呂(くになかのむらじきみまろ)など、名前だけは書かれています。日本史には欠かせない人物も渡来人ですし、また,701年に大宝律令が制定されましたがそのときも関わっています。

それを見ても、日本が古代から大陸と関係を持ちながら、独自の文化を育んできたことを教える良い教材であるのに、古代渡来人の活躍はこの教科書では、全く評価されていないことがわかります。

日本独自で、他の国ではやっていないことをやって来たんだぞ、偉い民族なんだぞということをとにかく前面に出したい教科書だという感じです。それが事実ならいいのですが、明らかに文献に書いていないことや、不確かなことも都合のいいように書いてます。
そうならば、いけないと思いました。間違っていることを「そうだった」と教えるわけにはいきません。

朝鮮古代史について詳しくない方が、圧倒的に多いと思われます。こんな間違った歴史を勉強したら、なんと思われるでしょうか。
歴史は考え方の違いではなく、過去の事実ですから、史実に基づいて学ばなければならないと考えます。

「新しい歴史教科書」は下記の図書館で展示されています。興味がおありの方はご覧になってください。
6月17日~7月2日 10時~18時 月曜日休館
神戸市立中央,灘,北,新長田,西の各図書館

では、なぜそのような教科書が出できたのでしょうか。それは、7月19日の4回目の講座報告でお知らせします。




大仏の金メッキするための金を宮城県から探し当てたのは、百済から来た百済王敬福です。東大寺は華厳宗で、元は新羅のビルシャナ仏です。
天平時代は安定した時代ではなく、聖武天皇は新羅の真似をして華厳宗で落ち着かせようとしていたそうです。

聖徳太子の法隆寺について「中国では見られない独特の配置」と書いてあり(適当な記述か疑問)止利仏師は7世紀の仏師鞍作鳥のことで、祖父の司馬達等は朝鮮半島出身といわれている。百済観音はクスノキが素材になっているので、日本で作られた仏像といわれていますが、名称からもわかるとおり、当時の百済と日本の親密な関係を表しています。

大宝律令について「唐の服属国と位置づけられていた新羅が、独自の律令をもたなかったのに対し、日本は中国に学びながらも、独自の律令をつくる姿勢をつらぬいた」と書いてあります。

古代朝鮮三国は唐にならって律令を作ったと考えられます。
しかし、高句麗と百済は7世紀後半に滅亡したため、資料が残っていません。
新羅は日本と同様に律令を作っていました。たとえ新羅に律令がなかったとしても、日本の独自性と自立性を強調するために「律令を持たなかった」新羅を引き合いに出すことは、教育的に意味はないと思います。
935年まで存続した新羅(日本では平安時代)に律令がなかったとするなら、新羅国はどのような原理で国政を運営していたのでしょうか?

2005-06-24(23:15:42) - 教科書問題 - msm - TrackBack(No Trackbacks)

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