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韓国では,今も時代劇のブームが続いているようです。
韓国各地でそのロケが行なわれていますが,民俗村はしょっちゅうロケがあるようです。完全に昔に作られているので,撮影しやすいのは言うまでもありません。
民俗村は各地にありますが,特に有名なのが水原(スウォン)市にある民俗村です。水原と言えば,世界遺産に登録された華城(ファソン)が素晴らしいですが,民俗村も同じ水原市です。
この民俗村へ行って来ました。すると,「早く通ってください~」と声を掛けているスタッフがいて,なにやら撮影中のような感じでした。ちょっと離れた所から見ると,ほんのワンカットずつ撮影しているみたいで,スタッフが出演者達に色々と注文を付けているようでしたが・・・。
“大勢の民衆が役人らしき人に何かを言っている”みたいなシーンの撮影をしていました。そんなシーンだったからか,知っている俳優はいませんでした。
その後も殺陣シーンを撮影しているところを見かけましたが,
よくわかりませんでした。
「大長今(テチャングム)」の撮影も行なわれていた所なので,立看板もあり,なるほどと見学できました。他にも,最近では「イルジメ(一枝梅,イ・ジュンギ)」,「王と私」,映画「王の男」等がここで撮影されていました。
ソウルからは地下鉄
1号線かコレイル(韓国鉄道)で,水原駅まで行きます。そこから民俗村まではバスで3,40分かかります。
駅を出たところに観光案内所があり,そこの駐車場に民俗村行きのバスが待機しているので乗ります。本数は余りないので事前に確認が必要です。
水原駅まで戻る時も,民俗村の前からバスが出ているので乗ればまた戻って来られます。
2009-07-20(21:40:08) - 韓国の観光 - msm - No comments - TrackBack(No Trackbacks)
先ほど紹介した『天国の階段』などで使われた豪邸と共に,キム・レウォンとチョン・ダビン主演の人気ドラマ『屋根部屋のネコ』のロケ地を探して行ってきました!
貧しくもたくましい女主人公のチョン・ダビンが住む屋根部屋に,不埒な?大学生のキム・レウォンが転がり込んで来るという話でしたが,この舞台になった屋根部屋があるのは普光洞(ポグァンドン)という所で,地下鉄6号線の梨泰院(イテウォン)駅の近くにあります。
屋根部屋というのはマンション(韓国ではアパートという)の屋上に部屋を作って,人が住めるようにした部屋(小さい家)のことです。韓国では割とこのような空間を上手く利用しているようで,地下鉄の地上を走っている車内からこのようなアパートをよく見かけます。洗濯物を干していたり,ハンアリ(壺)を置いていたり,植木があったりと色々と活用されています。
ちゃんとした部屋ではないから夏暑く,冬寒いのが定番の部屋(イメージと実際は大変な隔たりがあるので注意)なんですが,安く借りられるということです。
行き方・梨泰院駅の4番出口を出て逆方向に戻るようにして50メートル歩いて,0013,0014,0015番の緑のバスに乗ります。
1つだけ先のバス停(普光洞入口)で降車します。降りて前の歩道を渡って左手に少し行き,すぐの角を曲がります(右)。
ずっと進んでいくとお寺の看板がありますが,左側の角にスーパー(昔ながらの売店)があるのでそこを左に進みます。右手に小さな公園がありますが,その公園の手前に下る小さな道があってそこに建っているアパートがそうです。
迷わずに行けば駅から20分かからないでしょう。バス停を降りてちょっと迷いましたが,無事にたどり着けました。バス停1つなら歩こうかとも思いましたが,途中バスルートが直進ではなく曲がっていたりすると,もうアウトなので無理しないで乗りました。
見慣れた(ごく普通の)アパートでした。その屋上まで登ってみたいけど一般のお家なので入ることはできません。建物全体を外から眺めるだけでした^^。
他にも『
12月の熱帯夜』のジョンウが友だちとシェアして住んでいた部屋としても登場します。『ルル姫』でも,チョン・ジュノが母親や後輩達と共に住まなければならなくなった部屋として出てきたようにも思えます(勘違いかな?)。
どういった理由でこの家がロケ地に選ばれるようになったのでしょうか?そこが疑問ですが・・・。
楽しいラブコメドラマでしたが,チョン・ダビンが自殺してしまったのが残念です。
2009-06-02(15:12:29) - 韓国の観光 - msm - No comments - TrackBack(No Trackbacks)
韓国ドラマが今もなおずっと熱い!という感じがしますね。毎日韓国ドラマを放送していて,放送のない日はありません。特にBSでは最近(韓国で放送されてから
1年以内)のドラマもドンドン放送されています。あまりにもたくさんのドラマがありすぎて放送時間が重なって,どちらかを録画してから見るんだという人も多いのではないでしょうか。
韓流が始まった初期の頃に放送されていた『美しき日々』(主演:チェ・ジウ,イ・ビョンホン,リュ・シウォン)や『天国の階段』(主演:チェ・ジウ,クォン・サンウ,シン・ヒョンジュン)で主人公たちの邸宅としてテレビに映っている大豪邸を見てきました。
よく見るとやはり大きいです。この辺りは平昌洞(ピョンチャンドン)と言われるエリアで昔からのお金持ちがたくさん住んでいる所なんだそうです。この豪邸は数十億ウォンの価値があるそうです!他にも家を保有しているそうでここは別荘みたいな感じなんだとか・・。
そういえば他のドラマでも登場してました!オム・ジョンファ主演の『
12月の熱帯夜』でもオム・ジョンファが家政婦のようにこき使われてながら生活している家がこちらでした~。
後で聞いた話ですが,この豪邸の隣にあったコンクリートの塀でで囲まれた豪邸は,『オールイン』で出てきた家なんだそうです(イナとチョングが連れて来られた家)。
行き方:地下鉄3号線景福宮駅3番出口を出て
17
11番の緑色のバスに乗り換えます。
15分程度で到着する「ロッテアパート」で降ります。道路の向こう側に渡り,住宅街の急な坂道を登って行くと見えて来ます。
ドラマを思い出しながらここをスターたちが来ていたんだなあと感慨深げに佇みました^^
2009-04-29(15:43:00) - 韓国の観光 - msm - No comments - TrackBack(No Trackbacks)
時間が経ってしまいましたが,
12月に期間限定で販売されていたお弁当について報告します。
ヨン様がプロデュースしている白金台にある「高矢禮(ゴシレ)」のレシピで,コンビニのセブンイレブンで予約販売がされました。セブンイレブンで予約して(ネットも可)必ず店頭で代金引換で受取ります。代金は2500円です(結構なお値段です)。
季節が冬と言う事で『宮廷雪夜ミョッ炙』という名前です。実においしそうでしょう。確かに美味しかったです。一つひとつの料理が手の込んだものになっていて贅沢な気分になりました。一口ずつゆっくり味わいました。
雪夜ミョッ炙(ソルヤミョッジョ)という上段の真ん中にある肉の焼き物やいろいろなご飯も美味しかったです。
夏(7月)にも第
1弾の高矢禮弁当がありましたが,後日レポートします(随分前のことになりますがご了承下さい)。
とっくに過ぎてしまった弁当ですが,こちらで詳細を見る事が出来ます。
http://www.sej.co.j...
2009-04-25(13:49:38) - 韓国での食事 - msm - No comments - TrackBack(No Trackbacks)
皇竜寺址から自転車でさっきの線路沿いの道へ戻り,先へ進んで行くと,芬皇寺に到着します。こじんまりとした所ですが,夕方でも人が何十人か来ていました。
ここは新羅の第27代善徳女王3年(634年)に建立されたお寺です。
元暁大師と慈蔵和尚が住んでいた寺でした。
焼失して無くなった千手大悲観音菩薩壁画があったのですが,ある女の子が目が見えなくなってしまいこの前に行き,「祷千手大悲歌」を歌いながら祈ったら,目が見えるようになったという話が伝えられています。
現在は芬皇寺石塔と和諍国師碑,井戸,などが残っています。
芬皇寺石塔は新羅時代の石塔としては最初に作られました。安山岩を煙瓦模様にして積み上げられたもので門柱に刻まれた金剛力士像は最高傑作と評価されています。
井戸は網で蓋をしているので奥を見ることが出来ませんでしたが,外部が八角形で内部が円形になっています。八角は仏の教えである八正道をさし,円形は円融の真理を象徴しているそうです。竜にまつわる伝説があり,落ち葉が落ちてきても井戸の中には入らないということだそうです(写真では見えませんが,網の上には落ち葉が溜まっていました)。
国宝第30号
このあと自転車で最初に慶州へ到着した市外バスタミナルへ戻りました(約
15分)。道がわからなくなって
(地図がおおまか過ぎます(-_-;)行く女性に尋ねると同じ方向だから一緒に行きましょうと先導してくれました(ありがたい!)。かなりのハイスピードで飛ばして戻りました。
自転車を返却してバスのチケットを買うと程なくバスが出発するとの事で,急いでトイレに行って乗り込みました。日曜日の夕方(午後6時)だったので往路のように
1時間では釜山に戻る事ができず,
1時間半ほどかかりました。
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2009-03-20(21:56:50) - 韓国の観光 - msm - No comments - TrackBack(No Trackbacks)
国立慶州博物館から自転車で
10分ほどKORAILの線路沿いを走ります。のどかな夕暮れの街を走るのも乙な物です。
すると何となくあの辺りかな?と畑が広がる中に何台かの自動車が停車してました。線路を横切って細い道を進むと,皇竜寺址がありました。あまりにも周りに溶け込んでいます。
史跡第6号の皇竜寺址があります。ここは新羅24代の真興王
14年(553)に新しい宮廷を作らせたが,そこに皇竜が現れたと言う話を聞いてお寺に造り直し,皇竜寺と名付け善徳女王
13年(645)に完成したということです。4代の王93年という長い歳月をかけた工事でした。
百済の技術者が建造した九重木塔と高さが
1尺6丈ある金銅丈六像があったそうで,この九重木塔は唐からの留学を終えて帰国した僧,慈蔵律師の要請により建造されました。
9つの層になっているのは,新羅の周辺にある9つの国を象徴し,塔を建てることによって外敵の侵攻を防げることができると信じられていたからです。「新羅の地が仏様が住む地」という新羅人の仏教観を表しています。
しかし,
1238年にモンゴル軍の侵攻で,九重木塔をはじめ伽藍も全て火に包まれて焼失してしまいましたので,その址だけが残っています。
当時は総面積2万余坪の東洋最大の寺院だったということです。
この九重木塔を再建するというプロジェクトはあるそうですが,現代の技術をもってしても実現できていません(いつか問題はクリアされるでしょうね)。
時間がゆったりと流れ,一地方の田舎という感じののどかな場所ですが,昔は栄華を極めていた所だったのでしょう。
2009-03-07(14:40:56) - 韓国の観光 - msm - No comments - TrackBack(No Trackbacks)
雁鴨池から自転車ですぐの所に国立慶州博物館があります。
ここはその名のとおり博物館なので屋根もありますが,敷地内に展示されている史跡も多くありました。
博物館はとても広いのでじっくり見ようと思えば半日でも時間がかかりそうです。毎月第一日曜日は入場料が無料です(大人
1000ウォン=約60円)。荷物がある方はコインロッカーもありますので,預けて身軽になって見学されるのがいいでしょう。
入場してすぐの所には,野外展示が見えます。聖徳大王の神鐘
がそうです。新羅第34代聖徳大王の冥福を祈るために作り始められましたが,王の息子である景徳王から孫の恵恭王に引き継がれて造られました。鋳造する時に一人の娘を銅の中へ捧げた言われ,その娘が「エミレ(お母さん)」と泣いたという悲しい伝説があります。その伝説からこの鐘は別名「エミレの鐘』とも言われ,鐘を打つとエミレと響いたということです。この鐘は国宝第29号に指定されています。
建物がいくつかに分かれています。
考古館では先史・原三国室(青銅器,鉄器)や古墳室(
1926年スウェーデンの皇太子が発掘に参加したときに出土した金冠が飾られ,天馬塚の内部にあった金冠も展示されています),菊隠記念室(故イ・ヤンソン博士の素晴らしい土器などのコレクションが666点展示されています)があります。
考古館(本館)では仏教美術室(寺院跡から出土した文化財),歴史資料室(床下に発掘現場を再現した模型や王宮を復元したもの),彫刻室(寺から発掘された国宝金銅薬師如来立像など),金属工芸室,皇龍寺室(後にこのブログで紹介する予定の九層木塔があった寺の復元模型や出土品)があります。
雁鴨池館ではここへ来る前に見てきた雁鴨池から美術品が展示されています。935年に新羅滅亡で破壊され美術品が池に投げ込まれたといいます。発掘調査は
1970年代になってからで,3万点以上の遺物が出土されたそうです(金属工芸品,木製品,仏像など)。
新羅
1000年の歴史を凝縮して見ることができる博物館へ,是非時間をかけてご覧頂きたいと思います。
2009-02-16(11:09:51) - 韓国の観光 - msm - No comments - TrackBack(No Trackbacks)
石氷庫から自転車であっという間に雁鴨池に到着しました。
ここは新羅の文武王が674年に三国統一を記念して造らせた離宮跡です。当時は今の4倍の規模であったそうで,国賓を接待する外交と宴会などで華やいだ名残を感じさせます。
建物は臨海殿(イメジョン)と言います。この池はもとは月池と呼ばれていましたが,朝鮮時代になって廃墟となったここへ雁や鴨が飛んできたことから,雁鴨池(アナプチ)といわれるようになりました。
ここは今まで見て回ったどの場所より人が多かったです。美しい庭園と新羅の時代を感じたい方にはもってこいの場所です。
入ってすぐの所は今は何もない広い空間が広がっていてその奥に臨海殿が見えるのですが,ここにも何かの建物があったみたいで,その礎だけが見えました。
夜間は庭園がライトアップされているということですが,とても幻想的でしょうね。天気が良く月が出ていたらロマンティックな気分になれるでしょう。
史跡第
18号
2009-02-03(21:20:26) - 韓国の観光 - msm - No comments - TrackBack(No Trackbacks)
とりあえず腹ごしらえをして,また自転車に乗り約
1分,小高い丘のような所へ行きます(着た道を鶏林へ戻り,瞻星台とは反対方向です)。すぐに坂道になっているので自転車を降りて押し上がります。舗装されていないハイキング道みたいです。登りきってしまうと,また自転車で走ります。この間5分くらいでしょうか?
見えてきたのは地下道の入口のような場所。ここが石氷庫(ソビンゴ)です。
新羅の城跡にある朝鮮時代の冷蔵庫です。
ここには西暦
10
1年に作られた半月城という城がありました。
氷が貴重な時代にここで保管して大切に利用していたようです。この石氷庫は
18世紀に作られたものだそうです。
天井に通気口が3箇所あり,内部は奥へ行くほど天井が下がっています。
中へ入りたいところですが,柵があって覗くだけになります。全体が見渡せます。
今は何も置いてありませんから,中からひんやりとした冷気が来ることはありません。
入場料もなく見ていくことができます。
ここが氷を保存していた場所ということで?アイスクリーム屋さんがありました。ここで食べると格別なお味がするのでしょうか?
興味のある方は是非お試しください。
石氷庫は宝物66号に指定された文化財です。
この辺りは半月城という城があったところなのですが,今まだ復元はされていません。広場のようになっているだけです(史跡
16号)。半月城にまつわる伝説もあるそうです。
2009-02-01(20:08:10) - 韓国の観光 - msm - No comments - TrackBack(No Trackbacks)
市外バスターミナル→大陵苑→瞻星台と走って来ました。瞻星台から自転車で
10秒の所に,鶏林(ケリム)というこじんまりした林があって奥には古墳がありました。日曜日でしたから家族連れも多くて,小さな子どもが古墳をよじ登っていました・・・(いいのかな?)。
鶏林辺りをもう少し奥へ行くと小さな店があったので思い切って入ってみました。昔ながらのコンロにカウンターがあって大人が3人座れたらいい方みたいな店でしたが,お腹が空いていたのでカルグクスを注文しました。確か3000ウォンでした。うどんというより素麺ですね。
カルグクスは特にこれっと言って特徴はありませんが,あっさりとしていました。他にメニューはキムパフ(海苔巻き)だけでした。
おばあちゃんと娘が忙しくしていて,孫は店先で遊んでいました。のどかです。
車が一台通れるほどの小道が本当に地方の田舎って感じで,時代劇のシーンに出てきそうでした。時代劇の服装で誰かが歩いてきても不思議はないですね。
2009-01-24(15:27:47) - 韓国での食事 - msm - No comments - TrackBack(No Trackbacks)
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