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日本と韓国を結ぶ架け橋 「IJKL」

 


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水原華城の中からの蒼龍門
1997年に世界遺産に登録されました。朝鮮王朝第22代国王によって築城され、その工法や独創性も素晴らしく200年を経た今も名城として生き続けています。

最初に訪れたのは昨年3月でした。東の蒼龍門(チャンヨンムン)から東北空心ドン(トンブクコンシムドン)へと歩いて一周しました。一周すると、2時間から3時間くらいかかります。

はっきり言ってそんなにかかると思っていなかったので、歩き始めてから「えらいことになった・・」思いましたが、気候も良くよい運動になりました。

外郭から見た蒼龍門

蒼龍門からはワールドカップが行われた水原の競技場も見えました。
城というと日本では天守閣があって・・・などど想像しますが、ここは言わば城郭だけがぐるりと繋がっています。そしてその中に街があります。
この華城の中を自動車やバスなどが行き来していますし、わたしたちの街と何ら変わりません。

ただ周りを華城が囲んでいるということです。世界遺産ですが、水原市民の生活と密着していて、華城が生活の場であるとも言えるでしょう。水原市民は華城に誇りをもち、親しんでいます。

それが意外でした。むしろ入場料を取って、開放時間が決まっていて一定のルートで見学するような所だと思っていたからです。
自由に行き来できるような所だとは思っていませんでした。だから華城を見学しながら、街を歩くことができるので、地元のスーパーマーケットに行ってみるとか、華城を見ながらお茶を飲むこともできますね。

2006-05-19(20:40:51) - 韓国の観光 - msm - No comments - TrackBack(No Trackbacks)

嶋潭三峰石文
丹陽は韓国の中心にある忠清北道(チュンチョンプクド・日本でいう○○県というような地域の名称)の一番東に位置しています。
日本の山梨県と姉妹都市だそうです(どちらも周りを山に囲まれているという共通点がありますね)。
日本の山に比べて韓国の山は花崗岩などの岩が多く、稜線も変化に富んでいて険しい表情を持つ所が多いです。

嶋潭三峰へは清涼里(チョンヤンニ)駅から南下して行きます。韓国の新幹線KTXには乗りませんから、のんびり旅情あふれる汽車で行くことになります(丹陽駅は清涼里駅から約180キロ・移動のバスから見えましたがきれいな駅でした)。

忠州湖クルーズで眺めた「玉筍峰(オクスンボン)」、「亀潭峰(クダンボン)」などの景勝は「丹陽八景」と呼ばれています。その八景の中で特に有名なのが「嶋潭三峰」で南漢江(ナムハンガン)の清流にある岩峰が並んでいます。「将軍峰」、「妾峰」、「妻峰」と呼ばれていて、ユニークな伝説があります。

その1 昔、仲の良い夫婦がいたが、こどもができなかった。それで愛人を持った。愛人がいい気になってきて、妻はすっかり機嫌を損ねてしまった。喧嘩ばかりする3人に神様は「静かにしなさい」というように3人を岩にしてしまった。岩を見るとなるほどそう見えなくもないです。
上から見た嶋潭三峰


その2 この岩峰が江原道(カンウォンド)から流れてきたという。
丹陽の人たちはよほどのものを預かった気になり、江原道に税金を払っていた。しかし、財政が苦しくなり丹陽の人たちも困ってしまった。そこに知恵のある少年が現れ、江原道の役人に「岩をお返しするので、持って帰ってください。」と話したという。当然そんな岩を持って帰ることはできなくて役人も断念したという。

将軍峰には六角亭があり、観光船に乗ればこの亭に登ることができるそうです。ここの六角亭では「安東」で紹介した有名な儒者・李退渓(イ・テェゲ)が詩を詠んでいます。
「山は紅葉で紅く 水は玉のごとく澄み 三峰は夕陽に染まる 月光の下に金色の波寄する」(原文は漢文)

夕陽、月光に照らされる嶋潭三峰、素敵だと思います。紅葉の時期に訪れてみたくなりませんか?(夜はライトアップされているようです)

2006-05-17(23:09:04) - 韓国の風景 - msm - No comments - TrackBack(No Trackbacks)

両班(ヤンバン)の家
忠州湖遊覧船の清風船着場から近い所に、「清風文化財団地」がありました。一言でいうと民俗村みたいな所です。
以前にはドラマの撮影にも使われたことがあるそうです。朝鮮時代の両班(ヤンバン・貴族)の家を模していたり、




醤庫(ヂャンゴ)
こどもたちがよく遊んだといわれるシーソーみたいなノルティギがありました(実際ガイドがやって見せてくれました)。

社会見学?の小学生が来ていました。昔の人の生活が垣間見られるような場所でした。
よく見て歩こうと思えば2、3時間はかかると思いました。

2006-05-13(20:00:00) - 韓国の観光 - msm - No comments - TrackBack(No Trackbacks)

嶋潭三峰(ドダムサムボン)
ホテルから川沿いをバスで少し行くと、嶋潭三峰(ドダムサムボン)に到着しました。
流れの穏やかなこの川に、岩が3つ並んでいます。



石門

どうしてこんな岩が、ここにあるのかわかりませんが、この岩は主人と妻と主人の愛人だといわれているそうです。
真ん中の大きな岩が主人です。右側の振り向いているのが愛人で、左端が妻だそうです。浅そうな穏やかな川になぜかポツンとありました。

そこから少し山をあがっていくと、石門があります。これも自然にできたようですが、岩がくり貫かれて川が見えます。

2006-05-11(22:05:00) - 韓国の観光 - msm - No comments - TrackBack(No Trackbacks)

安東(アンドン)をあとにしてホテルのある丹陽へ向かいました。
この日は慶州(キョンジュ)から丹陽まで一日で移動したのですが、約370キロの道程でした(バスの移動はかなり疲れます。
丹陽大明コンドミニアムから見た朝の風景
空気枕を持参しました。
中には首や肩が凝ってしんどくなった人もいました)。

丹陽は山の中の静かな田舎町でした。大きなセメント工場があり、海外から観光客が来るような場所ではない(ガイドの話によると)そうです。そういえばコンビニに入っても「あれ?韓国人じゃない(ことばが違う)」という顔をされました。

宿泊したホテルはファミリーにも最適なコンドミニアムで、広くて調理器具も揃っている新しくて大きいホテルでした。中国の団体客も来ていました。きっと夏には避暑に訪れる客がとても多いのだろうなと思われました。

2006-05-09(22:04:43) - 韓国の観光 - msm - No comments - TrackBack(No Trackbacks)

洛東江(ナッドンガン)
ゆったりとした洛東江(ナッドンガン)をはさんで対岸には、芙蓉台があり地層が見事です。夏には河回村の岸辺から芙蓉台の下まで遊覧する渡し船が運航しているそうです。

河回村は約800年前から伝わるという河回別神クッ仮面劇(ヘファピョルシンクッタルノリ)が有名です。
無形文化財に指定されていて、毎年10月には仮面劇祭が催され街全体が活気づくそうです。その時芙蓉台の上から洛東江に向かって落とす火だるま遊びもあるそうです(見てみたいですね)。

河回村には110世帯、230人程が暮らしています。人口の75%が柳氏だそうです。ツアーだったのでゆっくり見て回ることができず、さっさと歩いて回るだけだったので、また是非訪れたいと思います。

芙蓉台

安東へはバス、KTX(韓国の新幹線)+バスなどでいろいろなパターンで行くことができます。ソウルからバスだと約3時間で到着し、料金は15100ウォン(約1700円)。KTXではソウルから東大邱(テグ)まで約1時間45分で、料金は34900ウォン(約4100円)+バス東大邱から安東まで約1時間40分で、料金は7300ウォン(約860円)です。
韓国はバスの路線が発達しているので他の地域からの便も多く、便利です(慣れないと難しいですが)。

河回村のなかには民宿があり、ホテルではなく一般家屋のかやぶきの家などで宿泊することができます。料金は3500円くらいからあるようです。

2006-05-02(20:00:00) - 韓国の観光 - msm - No comments - TrackBack(No Trackbacks)

民族家屋
海印寺からまたバスに揺られて「古きをたずね新しきを知る」という表現にぴったりな安東に行きました。

1999年4月、イギリスのエリザベス女王が韓国の訪問の際にも「最も韓国らしい文化が息づくところ」として安東を選んだといわれています。ここは朝鮮時代の儒学者、季退渓(イ・テェゲ)が生まれ育った地として有名です。
忠孝堂(チュンヒョダン)


両班(ヤンバン・朝鮮時代の貴族のこと)と庶民の文化が交錯する河回村(ハフェマウル)があり、昔ながらのたたずまいを残している街を見ようと韓国内外から多くの観光客が訪れています。洛東江(ナッドンガン)がS字を描くようにここを取り囲んでいることから水が回る村・河回村と呼ばれるようになりました。

柳氏(リュウ・韓国ではユ)が暮らしてきた同族村であり、歴史は600年前に遡るそうで、確かに柳○○という表札は多かったです。
忠孝堂の石碑


訪れた日は暖かく、のんびりとした感じで昔の街を歩いているようでした。ところどころ工事中のようで小型のパワーショベルやちょっと古そうなサイダーの自動販売機がありました。

エリザベス女王がここを訪れた時の様子を、小さな女王訪問記念展示館でパネル展示されています。そのパネルの中に韓流スターのリュ・シウォンもしっかり映っています。リュ・シオォンのお父さまが、ここの出身で今も屋敷を管理されています。
屋敷の中を見ることはできませんでしたが、立派なお屋敷でした。

2006-05-01(22:42:08) - 韓国の観光 - msm - No comments - TrackBack(No Trackbacks)

蔵経閣
海印寺にはバスから降りて、なだらかな坂道を歩いていきます。店があったり、ここの名物というよもぎ餅を、アジュンマ(おばさん)が洗面器にポリ袋を敷いた中に入れて売っていました。
薩摩揚げのような四角い形で2枚・1000ウォン(120円)でした。濃い緑色でよもぎにきなこをまぶしてあります。しかし、きなこは甘くないしよもぎをそのまま食べているような感じでした。体にはよさそうです。



経板
山門の前に石碑があり、そこから石畳の坂を登っていきます。石の階段は結構高さがあり、また急なので気をつけて歩かなければなりません。\建物の壁には八万大蔵経が運ばれた時の様子が描かれていました。

経板が収納されている蔵経閣には格子の入った窓があり、これが今日まで保存することができた大きな理由のひとつです。中にはびっしりと経板が並んでありました。
写真でしか見たことのない経板がこんなにたくさんあるのを見ると「すごい・・」としか言いようがありません。

2006-04-30(22:23:59) - 韓国の観光 - msm - No comments - TrackBack(No Trackbacks)

石碑
伽耶山国立公園の中に海印寺はあります。そこに八万大蔵経が約600年間保存されています。
北方のキタイと蒙古の度重なる来襲で國力を疲弊させていた高麗末期、困難を仏法で乗り切ろうとして1236年に刊行されました。



蔵経閣の山門
しかし、その以前のものは蒙古来襲の時に焼失してしまった。

1251年に完成したが当時は江華島(カンファド)に収蔵・保存されていました。
海賊に略奪されるのを防ぐため、ソウルの支天寺(チチョンサ)に移され、更に時を経て現在の海印寺に移されることとなりました。

移動は大規模なものであったそうです。
行列の先頭には童子が香炉を捧げ持って先導し、多くの僧が仏教を唱えながら続き、経板を積んだ荷車が、最後に経板を頭に載せた婦女子が続いたと伝えれています。
ほぼ一年がかりだったそうです。
一柱門
八万大蔵経とは経板の数が81340枚あるからそういわれています.これらを印刷して本にすると6791巻で,総文字数は52,382,960文字にもなります.

なぜ八万かというと衆生(すべての生物)の煩悩が八万四千種類あるからだそうです.
仏様が語った煩悩をなくすための八万四千の教えが八万大蔵経の内容です.

2006-04-24(00:48:00) - 韓国の観光 - msm - No comments - TrackBack(No Trackbacks)

仏国寺(プルグクサ)の石碑
ソックラムの次は、こちらも有名な世界遺産の「仏国寺(プルグクサ)」に行きました。山門を抜けていくと、立派な横幅の広い石段がドーンと見えてきます。これは上が青雲橋で下が白雲橋です(国宝23号)。

石橋



参詣者が白雲橋を渡れば、苦しみに満ちた現世から安らかな仏の世界に入ることができるといいます。続いて上に蓮華橋・下に七寳橋(国宝22号)があります。

石段のことを橋というのは下が池だったからという説と、彼岸へ渡ることを象徴しているという説があります。

なかに入ると、右に多宝塔(国宝20号)、左に釈迦塔(国宝21号)があります。多宝塔は、多宝如来を象徴する塔であり、七宝塔ともいいます。
石の構成で仏教も教えを具象化しています。釈迦塔は正式には仏国寺三層石塔といいます。仏の国では釈迦牟尼仏が説法を行い、それを多宝如来が説明しているという仏教の教えによって、多宝塔と対になるこの塔を釈迦塔と呼び習わしています。

釈迦塔(国宝21号)
その他に、国宝の金銅ビルしゃなぶつ座像や、金銅阿弥陀如来座像もあります。
見るものが多くあり、それぞれに仏教の教えの意味が込められていて、詳しくはわからなかったのですが、重厚な建造物は歴史を感じさせられます。

仏国寺が世界遺産に選定されたのは、新羅時代の仏教美を現代に伝えているというのが理由だそうです。
慶州東部、吐含山の麓に位置する仏国寺は、韓国5大寺刹の一つとされる寺です。
現在の形に近い大規模な伽藍の建設が開始されたのは751年であったということです。

2006-04-19(22:55:00) - 韓国の観光 - msm - No comments - TrackBack(No Trackbacks)

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